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3代目 笑福亭 圓笑(3だいめ しょうふくてい えんしょう、1860年 - 1933年3月)は、上方噺家。2代目笑福亭福松の実兄。本名: 河合亀太郎。享年73。 生家は大阪島の内の「魚源」という料理屋で弟は2代目笑福亭福松。 ==来歴・人物== 大坂の生まれ、初め盆龜と名乗り、盆廻しの元祖。また、全身に見事な刺青があったことから、俗に「がまん亀」と呼ばれた。若いころからヘラヘラ踊りの一座に所属し裸になり刺青をちらっと見せかっぽれを踊って人気を得ていた。 後に1883年、3代目桂文吾(林家延玉)門下となり延笑を名乗る。桂派で活躍、次に1887年、3代目笑福亭松鶴門下で璃鶴、1890年頃小松鶴。最後に1892年3代目桂藤兵衛の身内で桂藤原で藤明派に参加、藤明派解散後は桂派に復帰し1901年9月、新吟亭年誌、1903年頃、藤原年誌から1904年頃、藤原年史を経て、1908年1月、再度3代目松鶴の門で笑福亭圓生から1909年9月に3代目笑福亭圓笑を襲名。 年史時代は音曲が売物で、流行歌をいち早く高座にかけたので、当時の色町では人気があり、また踊りも上手であった。桂藤兵衛以降の京都落語界において、京桂派(初代桂枝太郎、3代目圓笑)として力を持った。妻は新京極・富貴席の囃子方で「お駒」という名であった。所属は藤明派、京桂派、福派を転々。 1925年頃まで高座に上がった。 十八番は『三十石』で、他に『春雨茶屋』『二番煎じ』『疱瘡息子』『宿屋富』『黄金の大黒』『八足』などをよく高座にかけた。手堅い老巧な話しぶりであったという。 多芸多趣味で書画をよくし、三味線も上手であった。趣味は、網打ち、小鳥の飼育、絵葉書収集、自転車などなど。神道大教大講義中教正にして、柔道と鍼灸の免許を持ち、易学にも通じていた。法廷衣を着たり、大きな風呂敷の真ん中に穴を開けたものを被ったりして街中を闊歩するなど、奇行の持ち主でもあった。落語相撲での力士の名は「碇肩」。 法名: 眞實院悟道圓笑居士。墓所は新京極の誓願寺。 門下には笑福亭圓歌、2代目笑福亭福圓、笑福亭圓三郎らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笑福亭圓笑 (3代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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